新規事業を始める時のジョンレノン語録
「新規事業」を始める時に勇気がでるジョンレノン語録
また年の瀬がやってきました。昨年に続き、懲りずにジョンレノンネタ。
今年は新規事業を始める時に元気になりそうな「ジョンレノン語録」まとめです。
来年は挑戦しよう!と思っている人の勇気に少しでもなれば嬉しいです。
あれこれ準備しているうちに過ぎていくのが人生だ
Life is what happens to you while you’re busy making other plans
- John Lennon (ジョン・レノン) -
ビジネスでも準備ばかりに時間を取られることありますよね。
『新規事業を始めたい』→「リサーチする」→「ビジネスフレームワークに基づいて整理し」→「企画書を作る」
新規事業を始める時、投資家を説得する、稟議を通す、などの場面で「リサーチデータ」を元に話したほうが説得力があるような気がしている人は多いですね。
でも、ゼロイチで新しいことをやるときには「リサーチ」もフレームワークもほんの少しの気づきを与えてくれる程度にしかなりません。
なのになぜリサーチに時間を割きたくなるのか。
これは私たちが「マーケット・イン」という一つのビジネス手法を教え込まれた世代だからです。こういう手法は昔、100→110を生み出すときに効果を発揮しました。
でもゼロイチは過去のデータがありません。だから進め方も全く異なります。
孫 泰蔵さん(ミスルトゥ)も今日のFB投稿でこんなこと言ってましたね。
この際、ハッキリ言おう。
「この考え方こそが日本をダメにした」
と。長年考え続けてきた末の結論なので、もうハッキリとそう断言する。
この「MBA(Master of Business Administration)の劣化コピー」みたいな考え方こそが、人々を拝金主義にし、人々を自己肯定感のない、常に不安な心理状態に陥れ、家族や地域のコミュニティを破壊し、日本をダメにしたのだと。
ゼロイチで新しいことをやるときには、不安なので、どこかに手がかりが欲しい気持もよくわかります。
でも、できるだけこの期間は短くしたいですね。
みんな平和について語るけど、誰もそれを平和的な方法でやってないんだ。
Everybody’s talking about peace, but nobody does anything about it in a peaceful way.
- John Lennon (ジョン・レノン) -
「うちの社はいくら新規事業を提案しても、上層部の頭が固くて中々スタートできないんですよね!」
交流会とか合うと、割と優秀な若いビジネスマンが漏らす言葉。
でも、本当にその会社でやりたいことがあるなら、上司の愚痴を言ってる時間とかもったいないな、と思います。
そもそも新規事業は、企画初期段階では『誰も』理解できません。したがって「アイディアを持っている側が、なんとか見えるようにする」しか方法がないのです。
たとえば名曲が頭に浮かんだとして、いくらそれを言葉で説明してもダメですよね。
演奏したり、歌ってニュアンスを伝えるしかないはずです。
新規事業企画で最も力強く伝える方法は、『商品β版を目の前に見せること』。
『開発』をすることが何より大切なのです。
事業家は評論家になってはいけない、と思います。
人生とは、人生以外のことを夢中で考えているときにあるんだよ。
Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
- John Lennon (ジョン・レノン) -
ジーズはこれを体現できているメンバーが比較的多い場所だと思います。
ひとつの技術に夢中になっている人や、起業の夢を持っている人などはまさにこれですね。
でも、まだ夢中になれるものが見つかっていない人もいると思う。
そんな人はもしかしたら夢中になる前に、色々とリサーチしちゃってるのかもしれません。そうするとどうしても評論や批判などが気になってしまう。
マーケットの大小、ニーズのあるなし、ほめてくれる人を探す、など。
夢中になるためには『肌感覚』が大切です。
『面白い』。最初はただそれだけの感覚を信じきることも必要です。
私たちはそんな人を応援したい。ジーズにいる間だけでも、損得より感覚で突き詰めてみてほしいな、と思っています。
僕らの人生は、僕らのアートだ。
Our life is our art.
- John Lennon (ジョン・レノン) -
起業(新規事業)とは、突き詰めればそういう事なんだと思うのです。
自分自身が夢中になれる「アート」を、長く続ける・守るためのものが『ビジネス』です。 アート的なことだからこそ、最初はだれも理解しない。
でもそれでいいのだと思います。
起業(新規事業)は「社会に対するおせっかい」です。
「ない」時は誰も求めてないし、ニーズも当然ない。
でも自分がやり続けることで、何人かが感動や感謝をしてくれます。
その姿をみて「もしかしたら必要かも・・・」と初めて周囲の人が気づきます。そこからやっとマーケットも認めて、ビジネスになっていきます。
なので、新規事業をやるのに最初から理解者を求めるのはやめましょう。
投資家やVCに褒めてもらう必要もありません。
自分の中の「アート」を信じることは『孤独』です。
でも、みんなと異なる人生であっても、恐れずに進んでいくことでしか新しい道を創ることはできないのです。
夢を見すぎだと人は言うかもしれない。でも夢を見てるのは僕だけじゃない
You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one- John Lennon (ジョン・レノン) -
最後にこれ。
自分の思いをもって孤独に走っている人には、必ず仲間が現れます。
今まで何人も見てきたけど、新しいことが実現していくプロセスはいつだってこれです。
投資家も、スタッフも、顧客も、自分の夢を持って走り続けている人の周りに集まる「仲間」です。なぜなら彼らも夢があるからです。
想いを自分の手で「見えるカタチ」にしたとき、あなたの夢に共感する人は次々と出てくるはずです。
3年前のちょうど今頃、ジーズアカデミーというロゴとLPが出来上がりました。
WIREDのアートディレクター谷戸さんが創ってくださったものです。
それまでは私と山崎先生の二人で、デジハリの名前を使わない新学校のコンセプトを一生懸命口頭で説明し、メンターや先生、アライアンス仲間を誘っていたのですが、共通のイメージができてからは加速度的に「面白いっすね」といってメンター仲間も増え、さらにレバレジーズさんが会場を提供してくれて、そこに1期生が入ってジーズアカデミーになりました。1期生が入ってきた時の喜びは忘れられません。
私自身も40代も後半になりましたが、まだまだ新しいことに挑戦しつづけて、皆さんと共にどんどん成長して行きたいと思っています。
ジーズは、互いの挑戦する姿勢を見て、お互いを少し勇気づけられる場所でありたいと思っています。
馬鹿にされたっていいじゃないですか。
そういう人しかセカイを変えてないんですから。
良いお年を。
ジョン・レノンについて無駄にまとめてみた
12月8日はジョン・レノンの命日ですね。
そう、この人。
1980年の今日、40歳で殺されちゃったのですが、彼の影響を受けた人はミュージシャンだけでなく、あらゆる職種の人や経営者にもたくさんいます。
ジーズメンバーのほとんどの方から見ると、産まれる前に亡くなってしまっている人ですので、なにがすごいのか不思議に思う人もきっと多いですよね。
命日だし、アドベントカレンダーは非公式ですし、プログラミング的なことは完全に無視して、個人としてRockファンの私見全開で、超ざっくり「ジョンレノンについて」まとめてみたいと思います。
まず、こちらは有名な「イマジン」。
この曲は学校の合唱で歌ったりした人も多いのでは。
この曲のイメージでジョン・レノンといえば「愛にあふれた優しい夢想家」のイメージを持ってる人もいると思うんですが、私が感じているジョンの魅力はちょっと違います。
貼ってる曲(Youtubeリンク)をちょっとづつ聞きながら読むと、なんとなく伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない、ぐらいのエントリですがご容赦ください。
17歳でバンドデビュー。家庭問題がいろいろあるのですが、長くなるので割愛します。22歳でビートルズ結成。
ポールマッカートニーというとても音楽の才能のある1つ下のやつをスカウトして、ビートルズができます。
(Beatlesは「かぶと虫:Beetle」と「Beat:ビート」をかけた造語)
また、ビートルズの作曲者は全て「Lennon=McCartney」と連名ですが、どっちが作ったか聞けばすぐわかるのも特徴。ジョンの曲はやや重く暗く、ポールの曲はおしゃれで楽天的な感じが多いです。
このまとめでは、ジョン作曲の曲だけピックアップしました。
まずジョンを2曲。このころはいわゆるロックンローラーです。
Money
You Can Do That
初期のジョンの名曲。ワルでかっこいいですね。
ちなみにポールの曲も比較のために1曲
I Saw Her Standing There
さわやかです。ビートルズの初期はポールの曲のほうがいかにもビートルズっぽいです。
BEATLES中期
ジョン・レノン:25~27歳ぐらい
この時期はアイドルとしてのメディアのイメージに合わせるのが苦痛になっていきます。「俺そういうんじゃないんだよ!」という主張を一所懸命するようになります。
悩みまくってインドのエセ教祖のところに修行に行ったり、麻薬やったり、最初の奥さんと離婚したりします。ライブも止めてスタジオに籠って創るようになります。結果、迷走しているのに、音楽性はむしろ上がっていきます。
こちらは中期でもちろん全部ジョンの曲。
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
Rain
A Day In The Life
どれもかっこいい。
音楽性が高まり、自己主張も激しくなります。好きなようにやりたいジョンと、バンドとしてのまとまりを重視するポールでケンカが多発。
でもこの時期、ジョンレノンは名曲をとにかく連発してます。
この時期のレノン作曲はめちゃめちゃよいんですよね。。
こちらは全部後期のジョンの曲。
Strawberry Fields Forever
I am the Walrus
Yer Blues
※これはビートルズではなく、エリッククラプトンがギター、キースリチャーズ(ローリングストーンズ)がベース、ミッチミッチェル(ジミヘンのバンドの人)がドラムという豪華な単発企画のレア映像。
Hey Bulldog
Hapiness Is A Warm Gun
I Want You (She's So Heavy)
Don't Let Me Down
この時期のはかっこよすぎて好き過ぎて全部は紹介できません。。。ぜひ聞いてみてください。
そして1969年、最高傑作のアルバム「アビーロード」を自分たちで作ったレコード会社『Apple Records』から出して解散。(アルバム「Let it Be」は発売は後ですが、制作は先でした)絶賛ケンカ中だったとは思えない素晴らしい出来です。
この頃、後期ビートルズの影響を受け数多くのRockバンドが誕生し、1969年はRock史で最大の豊作年。ここら辺も語りたいのですが、長くなるのでやめときます。
気になる方がいれば忘年会で語らせてください!(いないと思いますが・・・)
奥さんのヨーコさんと一緒にJOHN & YOKO THE PLASTIC ONO BANDという活動を始めます。
この時期から、音楽で世界を変えるというメッセージ性の強い様々な活動をしていきます。その背景にはアメリカ参戦から10年以上続いて泥沼化していたベトナム戦争に対するヒッピームーブメントがあります。
最初に紹介した「イマジン」もこのころの曲です。
Mother
おもいですね…
GOD
“Don't believe ×××”の連発からの“believe in me&Yoko"がぐっとくる。
HAPPY XMAS (War Is Over)
この曲は今も定番ですね。Xmasシーズンにぴったり。
その後、1976年には音楽活動休止して主夫をはじめます。
5年後に音楽活動を再開しアルバム「ダブルファンタジー」を発売した直後、1980年12月8日、凶弾に倒れ40歳で永眠。
このジャケット写真は篠山紀信撮影。
WOMAN
ジョンレノンが影響を与えたもの
当時のインタビューを読むと、多くのファンもいましたが、逆に嫌いな人も一定層いたようです。
ビートルズをケンカで終わらせたり、音楽で戦争を無くす荒唐無稽な社会運動をはじめたり、主夫はじめたり・・・当時の社会からは反抗的で天邪鬼とも言われていたようです。実際、聖人とかほど遠い、ワルで変人の部類の人ですね。
でも、常識に背を向けていても、自分を信じて行動した人がセカイを変える。そういう可能性をジョンレノンの足跡が教えてくれるように思います。
APPLE社を創ったスティーブジョブズ氏も、がっつり影響受けていて公言していますよね。
※ちなみにAppleという商標は英国Apple Records(ビートルズ側)が持っており、20年以上訴訟状態でした。最後は和解し、それで2010年にBeatlesの全曲がApple Musicで配信されるようになります。
ついでにこちらも。
まとめ的な
いつかセカイを変えよう!と密かに目論んでいる方もジーズには多いと思います。
でも新しい事業やサービスをはじめる時は、たくさんの逆風がありますよね。
家族や友人の心配、上司や経営者、会社の風土のような見えない壁、法律やら商慣習、さらには自分自身の習慣がブレーキをかけてきます。
「自己満足」「余計なお節介」「非常識」「無理でしょ」など、そういう批判が自信を奪います。
そんな状況を突き破るには「知識」や「実力」だけではなく、『勇気』が必要です。
ジョンやビートルズの魂を継いだRockという音楽には、大勢に与せず、批判を受けても自分の信じる方向で前に進む「カウンターカルチャーの精神」が込められています。
新しいことを始める勇気が必要な方は、ぜひRockの名曲に触れてみることをおススメします!
以上、プログラミングとなんの関係もない、ロックおじさんの一人言でした!!
良い年末を!